2017年11月25日土曜日

ガイア・シンフォニー間奏曲 ①

ガイア・シンフォニー間奏曲 ①
龍村仁・著  インファス  1996年1月刊

 植物と心を通わせ共鳴し、心に描いたことが現実になる

  映画『地球交響曲(ガイア・シンフォニー)』の最後の楽章「誕生」の中で、私はアメリカの宇宙物理学者フリーマン・ダイソン博士の次のような言葉を引用した。
  「入間の想像力は単なる絵空事ではない。人間は心に描いた事を必ずいつか実現する。そのために。神は人間に想像力を与えたのだ」
  ダイソン博士は、わずか19歳の時イギリスから招かれてアメリカに渡り、アインシュタインやオッペンハイマーなどと共に、プリンストン高等学術研究所で研究活動を始めた世界超頭脳の一人である。22歳の時、相対性理論と量子力学を統合する数式を発見し、ノーベル物理学賞の候補に挙がった事もある。
  そんな彼が“人間は心に描いた事を必ずいつか実現する”と言う。このダイソン博士の言葉の背後に、どのような科学的考察があるのかは、私には推量する術もない。しかし私にはその事が体感としてわかる。“心に描いた事が現実になる”という事を体験として知っている。『地球交響曲』を企画してから撮影、編集を経て完成するまでの3年間に、私はほとんど“奇跡”としか思えないような出来事を数多く体験した。
  その全てを書くことはできないが、少なくとも確率的には絶対にあり得ないような“偶然”によって出演者と出会い、交渉がうまくいったり、あり得ないようなタイミングで撮影が成功する事がたびたびあったのだ。もし“全てを知っている〈神〉が仕掛けたのだ”という言い方を避けるとするなら、心すなわち想像力が何らかの形で現実を動かしたのだ、としか言いようのない事ばかりだった。
  心がどのような仕組みで現実を動かすか、を科学的に説明する方法をまだ私達は知らない。しかしユングの言う共時性(シンクロニシティ)は現実にしばしば起こるし、そこに心の在り方が深く関わっているのだけは確かな事だろう、と私は思う。

 トマトと心を通わせる

  『地球交響曲』の出演者のひとり野澤重雄さんは、たった一粒のごく普通のトマトの種から遺伝子操作も特殊な肥料も一切使わず13000個も実のなるトマトの巨木を育てた人である。私は野澤さんにお願いして、映画のために種植えを行ない、13000個の実がなる巨木に成長するまでの過程を撮影した。このトマトの成長過程が、6人の出演者のオムニバスであるこの映画の縦軸となり、最後の楽章『誕生』では、幹の太さ10㎝、葉の拡がり直径10mの巨木に成長したトマトが、一時に5000個以上の真赤な実をつけている姿を紹介することができた。
  野澤さんになぜこんな“奇跡”のような事ができたのかの詳しい説明は、映画を御覧いただきたい、と思う。
  89年の7月、種植えを開始するにあたって、野澤さんは私に次のような事をおっしゃった。
  「技術的には何の秘密もないし、難しい事もないんです。ある意味では誰にでもできます。結局一番大切なのは育てている人の心です。成長の初期段階でトマトに、いくらでも大きくなっていいんだ、という情報(十分な水と栄養があるんだという情報)を与えてやりさえすれば、後はトマトが自分で判断します。トマトも“心”を持っています。だから撮影の時にはできるだけトマトと心を通わせ激励してやって下さい」
  この話を聞いた時、私は「トマトも“心”を持っている」という事についてはごく素直に受け止めることができた。しかし、そのトマトと心を通わせる、とはいったいどうすればよいのだろうか。「トマトさん、こんにちは、お元気ですか、今日もまたよろしくお願いします」などと声をかければよいのだろうか。ただでさえ一家言あるひねくれ者が多い撮影のスタッフの前で、私がトマトにブッブツ話しかけたり、ましてスタッフ全員にそんな事を強制したりすれば、「降ろしてもらいます」と言い出す者が出て来ても不思議はない。だからといって野澤さんのおっしやる事は、撮影を成功させるためには決して無視できない。
  撮影の初期段階では私はいつもスタッフより一足早く温室に入り、彼らが準備をしている間に密かに、声を出さずにトマトに話しかけていた。ところが撮影が進むにつれてスタッフの中にも変化が現れ始めた。実際数カ月間をおいて久し振りでトマトに会ってみると、その成長ぶりには思わず声を上げるほど感勤してしまう。つい「いやあ、お前デッカクなったなあ、エライなあ」なんて声を出して言ってしまう。皮肉屋のカメラマンまでが「スマン、今日はちょっとライトを当てるけど気にしないで」なんて言うようになった。こうしてトマトに話しかける事はスタッフの間でごく自然な事になった。
  トマトの成長がそろそろ絶頂期を迎えようとする頃だった。突然イタリアの登山家メスナーから連絡が入り、予定が変わったので今すぐ撮影に来てくれという。トマトの事が多少気にかかっていたが私達はとりあえずイタリアに向かった。イタリアに着いて間もなく、今度は野澤さんの方から電話が入った。トマトの成長がそろそろ限界に来ている、というのだ。真赤に熟したトマトが温室いっぱいに実っている光景は、この映画のクライマックスにとって絶対不可欠なシーンだ。
  私はいつ頃が限界なのかを野澤さんにたずねた。彼が指定した期日は私達が帰国できる日の10日も前だった。メスナーの撮影を途中で中止するわけにはいかない。だからといって、帰国した時、たわわに実ったトマトが無くなってしまっていたら映画全体が台無しになる。もちろん、代役を立ててカメラを回せばトマトを撮ることはできる。しかしここまで撮って来たトマトの最後の姿を他人に撮らせるのでは、トマトに申し訳が立たない。
  もし本当にトマトに“心”があるのならこの私の苦悩がわかってくれるに違いない。こんな常識はずれな事に賭けてみるのも『地球交響曲』らしいやり方ではないか。そう思った私は、イタリアからトマトに毎日念を送りながらメスナーの撮影を済ませた。帰国してすぐ、家にも帰らずスタッフを連れてトマトを訪ねた。
  トマトは待っていてくれた。生い繁る緑の葉の中に、熟し切った5000個の真赤なトマトが実る姿は、『地球交響曲』の最後を飾るのにふさわしく、実に美しく見事だった。
  トマトの撮影を終え帰宅した次の日、夕方5時頃の事だった。また野澤さんから電話が入った。
  「龍村さん、昨日温室で変な事があったんです。真夜中に温室の中から奇妙な音が聴こえるので、当直のと者が覗きに行ったんです。するとなんとあの5000個のトマトが間断なくボタボタと落ち続けているんです。奇妙な音はその音だったんです。そして今日の昼頃にはほとんど全部落ちてしまいました。写真を撮りましたのでお送りします」
  送られて来た写真は、その前日とは似ても似つかね、生い繁る緑の葉だけになったトマトの姿だった。写真には野澤さんの短いコメントが添えられていた。“私は何度もトマトの巨木を育てて来ましたが、たった一晩で全部の実が落ちてしまったという経験は初めてで驚いています”。科学者である野澤さんは、決して非科学的だと思われるような物の言い方はされない。ただ、こんな事実がありました、と客観的に示されただけだ。しかし野澤さんが言いたかった事は手にに取るようにわかる。
  「トマトはあなた方の帰りを必死で待っていたんです。そして自分の使命がようやく終わったと思ったとたん、ハーツと息を抜いて一気に全部落ちたんでしょう。今回は撮影のために生きたんですから」
  こんな風に書くと、それはあまりにも考え過ぎだと思う人もあるかもしれない。確かに今の私達はトマトに“心”があると証明する科学的方法を持っていない。だいたい“心”そのものが最も科学的説明のできないものだ。だから、この事実もやはり“単なる偶然”と考える人がいても当然だろう。しかし“単なる偶然”と思うか“トマトは知っていたかも”と思うかで一つ大きな違いが生まれる。それは私達の心に起こる喜びの度合いの差である。“単なる偶然”なら、せいぜい“運が好かったね”という程度に終わってしまう。ところが“ひょっとしてトマトは知っていたかも‥‥”と思うなら、限界を10日も過ぎて待っていてくれたトマトに出会った時、心が湧き立ち心の奥底から“ありがとう”と言いたくなる。そして自分自身がとても幸せになる。それがまたトマトに伝わり、あり得ない“偶然”をつくるのかもしれない。

●ミニ解説●
  映画「ガイア・シンフォニー(地球交響曲)」の第一作を飾ったトマトの巨木にまつわる裏話です。「植物(トマト)にも“心”がある」という考えを、あなたはどう受け止めましたか? 私は真っ直ぐうなずいてしまいます。私自身もそのことを実感するような体験をいくつか持っているからです。ということで、この地球に生きとし生けるものにはすべて“心”が宿っていて、いま密かに魂の昇華の準備をしていると考えるほうが正しいような気がするのです。                  (なわ・ふみひと)

0 件のコメント:

コメントを投稿